酒とは全く関係ない話ですが、この夏東京に行く機会があり、ついでに美術館でもと思っていたところ、丸の内ステーションギャラリーで藤田嗣治展(藤田嗣治 絵画と写真)、東京国立近代美術館で戦争記録画展(コレクションを中心とした特集 記録をひらく 記憶をつむぐ)を同日に観る事ができました。藤田嗣治の成功と挫折、光と影を見てなんとも言えない気持ちになりました。藤田は国家の侵略戦争への協力で戦後日本を追われる形になりました。
以前のブログで弊社の2代目義平の銅像の半分が戦争のために供出事を書きましたが、
http://chiyozuru.seesaa.net/article/482872412.html
戦争協力と言えばそうかもしれません。ただ昭和19年と板には彫られていた(壮行会写真の裏は昭和18年3月とメモ、年度の誤り??金属類回収令勅令昭和18年8月12日)ので、戦局は国防圏死守といった防戦の段階に移っていたので回避するのは難しいというかそれどころではない状況でしょう。
芸術家や音楽家、文筆家であればより問われる事だとおもうのですが
藤田嗣治も血縁のしがらみもあったのでしょうか。今日の私達も国家(公共団体)の事業や団体の活動の参加、協力にも多少の慎重さが必要ですが、これが意外に難しい。最近アナーキズムに興味があるのですが、何か生きる上で参考になるでしょうか。
p.s 藤田嗣治のアッツ島玉砕は戦争の凄惨さを現代の私達に伝えるし、それ以外の作品も含め戦争の記録として以上に私達が学ぶ事が多い。しかしそういった観点があるとしても慎重にこの企画展は開催されており、芸術性への評価も時期尚早としているように感じた。正直、個人的にノモンハンの広い地平線と青い空の美しさが忘れられないのだけれど、それを公言するにはまだためらわれるものがある。

